2012年12月10日
TIスイム創設者 テリー・ラクリン

先日ニューヨークシティーマラソンがキャンセルになりましたが、その週の初めに記載されていたエリザベス・ウェイルさんの記事に私は共感しました。(彼女は来年草々に出版される「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」に記載されるTI関連の記事も書いています。)

最近では、参加者が記念として後で注文できるように、写真会社が大勢のアマチュアカメラマンをコース上に配置し、ロードレースやトライアスロンの写真を撮影するのが一般的になっています。しかし残念なことに、エリザベスさんが書いているように、様々な要因から多くの写真がいい写真とは言えません。特にマラソンの場合がそうです。最初の数マイルを除けば、多くのランナーは肉体的苦痛が表情に表れてしまいます。アクション写真家のコーリー・リッチさんは、「優雅に写っているのは、わずか10%だろう。」と語っています。

しかし、不恰好または苦しそうに見えてしまうのはマラソンだけではありません。近所をジョギングする時でさえも辛そうな人もいます。私は無意識にいつも走っている人たちを観察してしまうのですが、その姿にたじろいでしまうことがあります。脚の運びが悪く不恰好なストライドは、エリートランナーのそれとは全く対照的です。そして、彼らの表情は意気込んでいたり苦しそうであったりで、楽しそうに見える人はほとんどいません。

ある意味、これは次の2つの要因からであると言えます。 (1) 走ることは、足を交互に前に出すだけの単純な動作である。(2) 痛みなくして得るものなしである。その一方で、私が強く信じているのは、動作は「美」であるべきと言うことです。動作が「美」である時は、体、精神を含め、素晴らしい気分になります。

私の身体はマラソン体質ではないようです。50歳くらいのころから神経筋の問題で、短い距離を走っただけでもふくらはぎに痙攣が起きてしまうのです。(同じ理由で、25ヤードのプールで行う一度のセッションで泳ぐ距離は、2500ヤード前後までに制限されています。)

それでもたまに軽く走ることがあります。自分の走りが観る人にどのような印象を与えるかはいつも意識しています。これは虚栄心からのものではありません。 ハイレ・ゲブレセラシェや他のエリートランナーたちをYouTubeを観たり、50代初めにChiRunningの創始者であるダニー・ドライヤーのワークショップを受けたりして、見聞きしたものを常に取り入れるようにしているからです。最近の私のブログ(以下参照)でも紹介しましたが、優雅さを体現する努力はエクササイズを高いレベルへと導きます。

Creating Beauty (getting speed in return)

Beautiful Sea, Beautiful Swims

そして、それによって、レースでのパフォーマンスのレベルも向上します。私は今年の夏、7月22日から8月11日の間に4つのレースに出ました。その4つのレースでの私の平均順位は、 総合でトップ10%以内に入るもので、過去5年間達成することができなかったレベルです。中でも最も満足いく結果を残せたのは、8月11日にプレシッド湖で行われたBetsy Owens 2-Mile Cable Swimです。

その前日のロンドンオリンピックでは、チュニジアのウサマ・メルーリが、サーペンタイン湖で行われた10キロレースで金メダルを獲得しました。ウサマ選手は、最後の500mで他の選手を引き離し、圧倒的な強さを見せました。疑いなく彼は世界一美しい泳ぎをするエリートオープンウォータースイマーです。私は自分のレースの前に彼のビデオを観て研究し、レース中は常に彼のフォームを真似ることに努めました。 その結果、私は約90人中9位だっただけでなく、ウサマ選手を「チャネリング」することで、泳いだ50分間完全に没入し、満足のいくレースとなりました。

優雅さを体現することにおける変革の可能性を私は確信しているので、この40年間水泳コーチとして主に専念してきたのは、「優雅さは習得できる」ということを人々に伝えることです。そして、変革は「優雅さ」を目標とした時から始まります。

 ©Easy Swimming Corporation