2012年10月10日
TIスイム創設者 テリー・ラクリン

最近いくつかのブログとTIディスカッションフォーラムでも書いていますが、2007年にリウマチの症状が頻繁に出るようになってから、速く泳ぐことがさらに困難になってきました。ただこのお陰で、人それぞれの身体状況におけるスピードというものを考えるようになりました。

昨年12月のマスターズ水泳大会での1,000ヤードで、13分29秒という今までで最低の記録を出した時の感想を書いた「Why I'm Grateful for Swimming My Slowest Time Ever」を投稿した後、いくつかコメントが寄せられました。その内のひとりは、もし自分がそんなに速く泳げたらとても嬉しい、とコメントをくれた。そのコメントを読んで、私が「遅い」と感じるのは、ただ単に42年前に出した自己ベストである10分45分、そして5年前に出した11分51秒と比べているからだと気付きました。自分の記録が世界記録でない限り、その「速い」は相対的であって、絶対的ではないのです。

ここ数年、私は自分の記録や順位に落胆し、それによって、その場に居れること、友人たちに会えること、元気でいれること、自分のベストを尽くす場所があることなどに対する喜びを忘れてしまっていました。しかし、このコメントによって、それらを深く考えさせられました。そしてその結果、自分の泳ぎよりも、結果を重視していた自分の反応が間違っていたことに気付かされました。

このエゴと記録へのこだわりは、おそらく比較的少数の現役または元競泳選手に当てはまるものだと思います。これが刺激となって自分の最大の可能性を知り、それに到達し、課題を追求するきっかけとなればいいのですが、それがネガティブに働いて、自分のイメージダウンを恐れるばかりに、課題と向き合うことを避けてしまう場合があります。

数ヶ月前にある女性と話をしました。彼女は現在70歳くらいだが、40〜50代の時は熱心なマスターズスイマーでした。しかしここ10年ほどは大会で彼女をまったく見かけていませんでした。彼女に、なぜもうマスターズに出ないのかと聞いたところ、「どんどん遅くなる自分に我慢できないからです。」という返事が返ってきました。遅くなることは、年を重ねるとどうしても避けられないことです。でも、それが原因で、健康的な活動から遠ざかってしまったり、楽しめなくなってしまうのは、とても残念なことです。

私はそれ以来、優雅に、そして健康に年を重ねるということに、常に価値観を見出すことを意識するようになりました。可能性を模索する技術に基づいて、このように自分の姿勢を改めることが、とても役立つことが解りました。

できるだけ美しく優雅に泳ぐ:優雅さは、本質的および普遍的に、感動させる性質を持つものです。プールで泳いでいて人目を引くのは、スピードよりも優雅さです。ヨガや太極拳、そして水泳で見てきたが、自分より年を重ねた人が優雅な動きをしていると、「自分も年を取ったらあんな風になりたい。」といつも思います。

最近レースで泳ぐ時は「美」を意識して泳ぎ、記録や順位より、その芸術作品としての成功に満足することを目標としています。明らかに美しさは主観的であり、記録や順位は客観的ですが、自分を評価する上で、独創性と柔軟性が重要であると言えるでしょう。

スイミングを記録で計る場合は、現在の記録を基準にする:実験的に計るのは、間違いなく良いことです。多くの面で優れたスイマーに共通する特徴は、努力と結果の関連を客観的および正確に評価できるように、有意なフィードバックループを設定することです。12月に遅い記録を出した後、私は直ぐにその記録を、その後の3〜5ヶ月間(マスターズ短水路大会期間)の改善度を測る基準としました。そして、改善するための建設的な計画を立てました。

ほとんどの練習は評価から始めました。私がいつも測定に使用したのは、時間とSPL(Strokes Per Length=特定距離のストローク数)および/またはテンポです。そして、練習によって目標の改善に達することができれば、プールをあがる時には達成感があり、またやろう!というやる気が湧き出てくるのです。

時間そのものより時間の「質」に焦点を当てる:レースでの記録が40歳の時より60歳の時の方が遅くなるのは、年を重ねるごとに練習量が減るということに起因するとも考えられるのではないでしょうか。どちらにしても、その練習時間をできるだけ効率的に使う必要があります。私が最後に1,650ヤード(1,500m)で19分を切ったのは1992年です。そして最後に20分を切ったのは2006年です。そして、最近は23分を切ることさえ困難です。たった6年間でこんなにも記録が低下してしまいました。今の私の目標は、以前のように1マイルを19分で泳ぐことではなく、1マイルを23分で気持ちよく泳ぎ、満足することです。

私は年を重ねるにつれ、プールでの練習を長い時間できなくなりました。下部脊椎の関節狭窄のため、蹴伸びを繰り返すうちに、ふくらはぎと足に末端痙攣が起きます。51歳の時、マンハッタン島マラソン水泳大会のトレーニングをしている時に、練習で10,000ヤード泳げたのが、55歳では5,000ヤードがやっとなりました。60歳ではさらにその距離が3,000ヤードとなり、もはや壁を蹴ることができなくなりました。しかし、それに失望するのではなく、一回一回のラップに新たな気持ちで挑戦しするようにしてきました。そして、これによって練習の目的というものを以前より強く感じるようになりました。

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