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平山コーチ |
トータルスイムマガジンをご覧の皆さん、こんにちは!
TIコーチの平山です。
「ロットネス海峡横断泳」に参加し、8時間22分でなんとか完泳した体験を、3ヶ月にわたり紹介したいと思います。
「世界で一番美しい都市」ともいわれる、オーストラリア西部の都市、パース。その沖合20kmにある、ロットネス島。
南半球では夏の終わりにあたる2月下旬に、パースの海岸「コテスロービーチ」をスタートし、ロットネス島までを泳ぐ「ロットネス海峡横断泳」が行われています。
今年で22回目を迎え、今回の参加者は約2800名。大会は2011年2月25日(土)でした。種目は、3つのカテゴリーに分かれています。
■TEAM(チーム)・・・20kmを4人がリレー形式で引き継いで泳ぐ
■DUO(デュオ)・・・2人が交互に泳ぐ
■SOLO(ソロ)・・・1人で泳ぐ
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日本からの参加者と |
日本からは11名(チーム×2組、デュオ×1組、ソロ×1人)が参加しました。
「ロットネス海峡横断泳」はオープンウォーター大会(以下OWS)としては、世界有数の規模です。日本での窓口は、ドーバー海峡横断泳の日本人第一号達成者の大貫映子さんが主催する、「海人くらぶ」です。
この大会を知ったのは、竹内代表の社長就任パーティーで大貫さんにお会いし、そして翌日のテリー・ラクリンのワークショップでは、同じコースになりお話ししたことがキッカケでした。(それまでにOWSへの参加経験はありません・・・)
その時点から、ロットネス海峡横断泳に参加するまでに2回、OWSに参加しました。(1回目は逗子〜江ノ島間の10kmを泳ぐ「湘南OWS」、2回目は海人くらぶ主催の奄美海峡横断15kmをデュオで)
【23〜24日:大会前々日〜前日】
ホテルはスタート地点の海岸まですぐの場所。荷物を置き、まず海を見に行きました。
レンガが敷き詰められた歩道を歩き、海に近づくにつれ、その様子がはっきりしてきます。
そこには白砂の海岸と、エメラルドグリーンの静かな海・・・・のはずが、実際は私の地元の九十九里浜を凌ぐ三角波です。
「マジかよ・・・・・」
そんな波に向かい、年配の女性が準備体操なし・ゴーグルもなし、で普通に海に入っていきます。 まさにリゾート感覚。
日本人から見ると漁師もサーファーも遠慮するような荒海ですが、オージーにとってはどうってことない普通の海況らしいです。
「肉食ってる奴には敵わねー」という昭和のフレーズが頭をよぎります。
後日聞いたところでは、さすがにこの海況・・・。中止もありえたようでした。
翌朝は、波も多少静かになりました。午前中は海に入り感触を確かめて、午後は補給食の買い出しや準備に追われました。
【25日:大会本番】
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補給食 |
ロットネスを泳ごうと決めてから10ヶ月。ついに大会当日を迎えてしましました。
3時に起きて(というか夜中まで表で騒いでいる人たちがおり、まったく眠れずベッドに横になっていただけ)食事を取り、補給食の準備をします。
ソロ泳者には、マネージャーの乗った「伴走船」と、泳者を誘導する「シーカヤック」が義務付けられています。
4時には遠泳中の面倒を見てくれるマネージャーの唐木さんに補給食を渡し、補給のタイミングなどを説明します。マネージャーは伴走船に乗るため港に向かうので、次に会えるのはスタート地点から1km先の海です。
5時には出場登録を行うためにスタート地点の海岸に向かい、足につけるタグを受け取ります。
このタグを無くすとタイム計測ができませんし、なにより弁償金が3,000円かかりますから、すぐに足首に取り付けました。
その後、今日の相棒のパドラーのジョシュさんと会い、お互いの目印の確認をします。これはソロ泳者200人が、2回に分けてスタートするのですが、自分のパドラーと海の上で出会うことが第一関門だと聞いていたためです。
私の目印は、手首にマジックで「黒・オレンジ・赤」のライン、ジョシュさんは魚の被り物です。
当日の海は穏やかで、まさに遠泳日和になりました!
スタートゲートをくぐり、砂浜でストレッチをしながら合図を待ち、気持ちを落ち着けようとしますが、何しろ眠い・・・・。
そして朝6:00、ついにスタートのホーンが鳴りました。
完泳が目的ですので、タイム狙いの泳者が勢いよく海に入るのを待ちます。一番後ろからゆっくり海に入り、パドラーから発見されやすいロープ沿いを、体を慣らすように泳いで行きます。
最初の難関と聞いていたパドラーとの出会いも問題なし。すぐに発見してもらい、「伴走船」とも順調に落ち合うことが出来ました。
1.5kmの地点には、目印で停泊している大型帆船があります。その横を順調に泳ぎ、幸先の良さを感じたのも束の間、2kmくらいで腿のうら側(ハムストリングス)に違和感がありました。寝不足なのか水温のせいなのか分かりませんが、つりそうです。
なんとかごまかしながら1時間泳ぐうちに、最初の補給タイミングがきました。前日に立てた補給計画は、最初の補給から30分おきに「水+補給食・ヴァーム・砂糖入り紅茶」を、ローテーションするというものです。
この30分ごとの補給で、浮かんだままストレッチを行い、つりそうな脚をごまかしながら泳ぎました。
【泳いでいる間のフォーカルポイント(1)】
完泳後、「泳いでいるときに何を考えていた?楽しかった?」などを聞かれますが、あまり何も考えていませんし、残念ながらまだ楽しむ境地にも至っていません。
ただ、一つだけ注意したのは、泳いでいる間に「無理をして体を壊すことが無いようにする」でした。
これを達成するため、TIスイムのフォーカルポイントに照らしあわせたのが以下の3点です。
- リラックスしてリカバリーする。
- 肩幅より広く腕を伸ばす。
- 方向確認のサイティング中、前で呼吸をしない(水を飲んでしまうかもしれないので)。
ソロの10km泳は、日本の大会で経験がありましたし、また30分ごとの補給という区切りが、精神面での余裕になりました。途中で波が高いところもありましたが、しばらくは順調に泳ぎ進みました。
【泳いでいる間のフォーカルポイント(2)】
16km地点の補給で、マネージャーの唐木さんから「ここから先は1km1時間です」と言葉がかかります。
唐木さんは、今までも日本から参加するソロ泳者のマネージャーを、何回も行なっているオーストラリア在住のベテランです。その経験から、ロットネス島に近づくと、島側からの流れがあり「ココからが一番辛い」ということでした。
「ここから4時間?・・・マジかよ」
すでに島は大きく見えており、海底も浅くなって魚も見えるのに・・・この日一番の「ガッカリ感」でした。
ただし、ここからも無理をせずに手を伸ばす位置を下げ、重心移動をより意識して使うようにしました。海の流れに対し、人間がパワーで対抗しようとしても無駄なのは明らかです。無理して体を痛めリタイヤ・・とならないように立てたフォーカルポイントでした。
ゴールが近づくと船も密集しはじめ、コース取りにも気を使います。ソロ泳者の目印、私が被る白いスイムキャップを見つけた船から、なぜか日本語で「ガンバッテー」という声援を受けます。
ゴール目前の19kmで、伴走船は港に向かうために離れていき、パドラー+泳者だけになります。
さらに、300m程でゴールまでのロープが張ってある地点(海点?)からは、パドラーも離れていよいよ一人旅になりました。
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ゴール目前! |
私は近眼なので、度付きのゴーグルを用意していったのですが、波があるのと目線が低いのとで、なかなか目標物を確認できません。
ゴールには、大会ロゴの入ったゲートと砂浜に巨大な赤い風船が設置してあるのですが、かなり近づいてから確認できました。そこまではゴールに向かって泳いでいる他の泳者を目標に「だいたいこっちだな?」で泳ぎました。
【ゴール、そして・・・】
泳ぎはじめてから8時間強、無事にロットネスの砂浜に到着できました!
ゲートをくぐると大貫さんが待っていて「ヤッタネー!」的な声を掛けられましたが・・・。何と言われたかはよく覚えていません。スミマセン。
係の人に脚のタグを外してもらい、ゴールの申請を行います。
疲れすぎないように気をつけながら泳いできましたが、後で写真を見たらかなりボーッとした顔をしていました(元から?)デュオの小田切・白石組はすでにゴールしており、祝福してくれました。
落ち着いてから周りの様子をみると、ゴールでは大勢の人たちが泳者を大歓声で迎えています。あらためて、この大会の盛況さを感じます。
その後、夕方5時からソロ泳者全員揃っての記念撮影があり、一人ずつに記念のトロフィー(ミニサイズ)が渡され、「ロットネス海峡横断泳」は幕を閉じました。
翌日からは、コテスロービーチの海をゆったり気分で満喫しました。パース観光も楽しみ、日本に帰って来ました。
あらためて振り返ると、素晴らしい環境であり、素晴らしい大会でした。
海人くらぶの皆さん、現地でサポートしてくれた人々、日本から参加し一緒に泳いだ仲間たちへ感謝の気持ちがあふれています。
ありがとうございました。
次回のトータルスイムマガジンでは、「参加への動機、そのための準備や練習内容」をご紹介します。 |