▽1998年〜2002年 TIは「水泳の道」を考えるようになった
1998年までに、私は定期的に2つの驚くべき事象と遭遇し始めました。第1は、合気道のような武道、ヨガまたはフェルデンクライス(注1)のような体の動作の訓練、そしてダンスや音楽を学んできた多様なワークショップ出席者たちがTIの学習法は彼ら自身が行ってきた訓練(従来の水泳アプローチを含め、彼らの経験と多少の類似性を持つとしても)を思い出させるとしばしば話しました。第2は、TIの本を読んだ人たち、あるいはワークショップに参加した人たちは「TIは私の人生を変えた」とか、水泳に対する本当の情熱を持つようになったと話しました。この段階から2つの鍵となる考えは出てきました。
▽水泳は体を動かすアート(Art)
水泳はもともと(1)救命技術(2)運動の方法(3)スポーツ、として考えられてきました。それはまた、他の持久力活動との共通点を多く持つと考えていました。しかし、多様なグループのコメントは、これまでじっくり考えてこなかった何かの可能性を提案しました。それは、すべての運動技術の基礎となる普遍原理でした。いくつかの武道が数千年(水泳指導はわずか数十年しか戻れない)も練習されてきたということを知って、私はそれらを研究し始めました。とりわけ2冊の本は、私の意識を広げました。
オイゲン・ヘリゲル(注2)の「Zen in the Art of Archery(弓と禅)」での中心をなす教えは「禅弓術家は標的を打ち抜くために練習をしない。彼らはより大きな自己認識のために練習する」という文章の中に包含されています。次にブルース・リーの「Tao of Jeet Kune Do
(截拳道:セッケンドウ)」を読みました。その本は彼の専門技術(カンフー)のためのハウツー・マニュアルであると思っていましたが、それよりも自己認識について考え、技術をマスターする方法のガイドであることがわかりました。TIはまもなく、同様の考え方を意識的に取り入れ始めました。
▽水泳は練習
水泳をトレーニングとみなしたとき、私たちは何をするのか(例えば、肺と筋肉を働かせる何か)。90年代後期に私たちは「期間練習(Term practice)」を支持し始めました。最初は「繰り返し学ぶことで技術を改善すること」を意味していました。
東洋哲学の本は、より発展的な考え「個人の成長と幸せへの経路」を推論するために期間練習を利用しました。そのような経路を提案することで、上手に泳ぐための課題を解決することができると多くのTIスイマーが確証したことによって、私たちの情熱は表現されました。それに沿って、人は達成の瞬間、限界を超える能力を出した瞬間さえも経験することができました。
これらの影響で、TIは水泳を行うことから「水泳道」を考えることに変身し始めました・・・そして、拡大すれば、人生についても。
(注1)フェルデンクライス:ウクライナ出身の物理学者。モーシェ・フェルデンクライス(Moshe Feldenkrais 1904〜1984)によって創始されたボディワーク。動きに伴う感覚に注意を向けることで、動きの質を改善することを目的とする。(Wikipediaより抜粋)
(注2)オイゲン・ヘイゲル:ドイツの哲学者。海外では日本文化の紹介者として知られている。1924年(大正13年)から5年間東北大学で講師をつとめる。独自な日本文化論「弓と禅」「日本の弓術」を著す。(Wikipedia、三省堂大辞林より抜粋)
http://www.swimwellblog.com/archives/1143 原文 |