最近、私の贔屓にしているボストン・レッド・ソックスがヤンキースと対戦するというので観戦のために、私の家のあるブリティッシュコロンビアのバンクーバー島はスークからニューヨークに旅行しました。またその機会にブロンクスとクーパーズタウンの間にある野球の殿堂を訪れ、さらにニューパルツにあるTIスイムスタジオでそれぞれバタフライと平泳ぎに絞ったテリーとの2回の個人レッスンを予約しました。あいにく雨模様でしたが、スタジオのエンドレスプールでの室内セッションには何の影響もありませんでした。
まずは、私自身の簡単な経歴をご紹介します。私は世間一般の言う「シニア」です。歳は70歳男性、身長5フィート10インチで、体重は170ポンド前後です。35歳で長距離のランニングを始めて以来20年間走り続け、昔フットボールで怪我をした箇所が原因でランニングを辞めるように勧められるまでに合計3つのマラソン大会を制覇しました。破損した後十字靭帯によって右膝が不安定になってしまい、両脚の保護軟骨をすり減らしていたのです。
友人の勧めで55歳の時に水泳を始めました。初めはさぞ退屈だろうと思っていたのですが、すぐにランニングよりもずっと技術的な側面をもつ水泳が、限りない学習、改善の機会を提供してくれることに気がつき、すっかりはまってしまいました。陸上では長いこと長距離マラソンランナーであったにも拘らず、プールではカナダ国内の大会で私の年齢グループの中ではそれなりの記録を出す短距離選手になりました。
主にフィットネスのために単独あるいはグループで12年間泳いだ後になって、テリーのトータル・イマージョンに出会いました。遅ればせながら「ロデイルのフィットネススイマー」誌とTI関連のすべての書籍およびDVDを入手してきました。70歳から74歳の年齢グループに突入して以来、100メートルと200メートルのクロールおよび50メートルと100メートルのバタフライで、多くの自己ベストを樹立した他カナダ全国で1つとブリティッシュコロンビア地方で4つの記録を持つまでに至りました。これらの記録はすべてTIスイムのおかげですが、それまでコーチの直接指導は受けた事がありませんでした。そんな理由もあって6月初旬にスイムスタジオでのレッスンを受けることにしたのです。清潔に整頓された設備とスタッフの温かい歓迎にとても好印象を受けました。
初日はバタフライを2時間特訓しました。50メートルで国内記録を樹立できるほど速く(38秒)泳ぐことはできましたが、多くの他のスイマー同様に、100メートルの最後の25メートルは常に苦しみました。テリーが娘さんにレッスンをビデオ撮影させたのと流水プールが初体験だったのもあって初めは緊張しましたが、数分後にはテリーのリラックスして落ち着き払った態度にすっかり気分も和みました。
「ラクラク・バタフライ」を2時間学んだあと、流水プールで殆ど疲れることなく最後まで泳げるようになったことに驚きました。
テリーが「ラクラク・バタフライ」あるいは「みんなのバタフライ」と呼ぶバタフライの新しいアプローチ法を学んでいました。テリー自身が長年ストロークにもがき苦しんだ経験を経て、200メートルの世界記録保持者であるマイケル・フェルプスのビデオを見ながら突如として今まで気がつかなかった幾つかのヒントを得たそうです。去年の冬2ヶ月間に彼自身が観察したものを新しいドリルのシリーズとフォーカルポイントに再現して練習した所、400から500ヤードで25ヤードのリピートを短い休憩でラクに泳げるようになったと説明してくれました。余りにラクなので、生まれてはじめてバタフライで200ヤードを何度か続けて泳いだ程だったそうです。この「ラクラク・バタフライ」法を考案するまでは、50メートルを泳ぐだけで疲労困憊し、実際2001年の5月以降バタフライを避けて殆ど泳がなかったと言います。
テリーはセッションでこの新しいドリルの全工程をやらせてくれました。2時間後、流水プールで殆ど疲れることなく最後まで泳げるようになったことに驚きました。過去には決して出来なかったことです。家に帰ってバタフライで25メートルを4本短い休憩を入れながら泳ぎました。今までになくラクに泳ぎながらも累積的タイムは前と全く同じで、これには本当に驚きました。今では200メートルのバタフライをラクに達成できる自信がついた上にようやく、100メートル・バタフライを、何とか泳ぎきるのではなく、余裕を持って泳げるようになりました。
翌日私たちは、平泳ぎのセッションを行いました。これは断然私の一番苦手とする泳法で、ドリルのテクニックを身につけるのもずっと大変でした。平泳ぎの方が、テリーが私の困難を克服して成功した結果に導いてくれるかどうかを試す、本当の意味でのドリル方式の成果を証明するものだったと思います。平泳ぎの蹴りがとても弱かったのですが、それでもバタフライ選手としてボディードルフィンは上手でした。私のボディードルフィンを利用して短く素早い平泳ぎのキックを研究しました。こうしてようやくタイミングをつかみ、今までになくずっと気分よく平泳ぎを泳げるようになったのです。
その翌日、最近の米国マスターズ・ナショナルズ、55歳から59歳のグループでの記録保持者である、他のマスターズのスイマーにテリーが、背泳ぎとクロール双方を交えて教えている所を見学しました。
テリーは、このようなTIセンターを米国全土そしてカナダ、それ以外の国にも拡大させる夢があることを語ってくれました。TIの哲学、エンドレスプール、そして個人教授を結合すれば、それは優雅で満足の行く水泳を身につけるために多くの人が楽しめるパワフルな水泳伝授法になります。ニューパルツでの3日間を経て、独学では見過ごしてしまう泳ぎのちょっとしたニュアンスを学ぶ上で個人コーチが非常に貴重であることを思い知り、同時に水泳が人生に喜びをもたらす魅力ある旅行であることを改めて感じた次第です。
グラント・ホールは、30歳までをアルベルタのエドモントンで過ごし、その後1965年に南アルベルタのクローズネスト・パスに移住しました。グラントと妻のローラは、29年間薬局を経営していました。クロースネスト・パスは90日しか栽培期がない標高4400フィートの大陸分水界からすぐ東にあります。1994年に薬局を売って2001年にバンクーバー島に引っ越して来ました。ジュアン・デフカ海峡を臨む、栽培期が240日ある10エーカーの敷地を所有しています。このように泳いでいない時には、夫婦で殆どの時間を造園とガーデニングに従事しています。グラントとローラには3人の子供と4人の孫がいます。 |
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