過去16年間テクニックに特に集中して、絶え間なく効率とコントロールの改善を見てきましたが、この2年間の「制約されたトレーニング」は単に「テクニックを練習する」ことから、水という環境の中で人体の持つ問題点を長期間探る機会を与えてくれました。これほどプールの中で思うように体を動かせると感じたことはありません。そして私のこの体験は、数十年前に身体的ピークを終えた同世代の仲間たちを勇気づけることでしょう。
37歳(1988年)の時以来、マスターズや遠泳の競技で泳いできました。最初のシーズンは16年間ほとんど水泳トレーニングをしなかった割には、勇気づけられる結果でした。以降1992年、41歳でマスターズのベスト記録を出すまで、毎年少しずつ上達しました。それが20年以上もさかのぼる大学時代の記録に非常に近いもの(5%以内)であったことに興奮しました。特に学生時代より30ポンド体重が増えて、トレーニングの量も半分ほどであったことを考慮するとなおさらです。

研究によると、平均的成人の体力は毎年約1%ずつ減少すると示唆されていますが、精力的にエクササイズ・プログラムをこなす成人の体力の衰えは半分に留まることもわかっています。ということは、20年前と比べてたったの5%及ばなかった私は、効果的にその減少率をさらに50%縮小させたことになります。すべては、効率の改善にありました。

1992年以降13年間はトレーニングを定期的にこなして、テクニックの改善に努めましたが、時間を経るうちに、同じマスターズの仲間全員に比べれば控えめだったにしろ、多少泳ぎに年齢を感じるようになりました。しかし、2ヶ月前(55歳を目前に)突然練習においてもレースにおいても、大幅に改善されて、12年間泳いできた中でも最も速い地点まで到達した手応えを感じました。

2度の手術と、筋力トレーニング、マウンテン・バイク、そしてウィンター・スポーツといった水泳以外のスポーツでの怪我の治療とリハビリに過去2年間多くの時間を費やしていただけに、この結果に驚きました。私のような中年以降に多い怪我の体験は珍しくありません。珍しいのは怪我のあと、泳ぎが遅くならずに速くなることです。

私の(スイマーとして)出した結論は、私たちはこの身体的に限界のある期間を逆にうまく利用できるという事です。中年層においては、怪我によるさまざまな身体的不満によってトレーニング能力を時に大幅に制約されてしまいます。怪我の期間を練習の好機に変えられること自体が確かにエキサイティングな発想です。以下、私がこれを裏付ける最近の体験によって得た教訓です。

タイムを計ってのセットの繰り返しなど、普通のスイマーにとっての典型的な集中したトレーニングができなかった長い期間中(過去14ヶ月に4、5ヶ月間のギブスの着用)激しく体を使う泳ぎの代わりに「考えながら」泳ぐことにしました。

例えば、自己最高記録をだした2マイル(3.2km)・オープンウォーター・レース(これ自体はローテーターカフの手術から5ヶ月後)の数週間後の去年の8月4日、マウンテンバイクから転落して、手術をした方の肩を再び激しく痛めてしまいました。その日から年末まで、マスターズでの練習はしませんでした。しかし9月の終わりになって、ニューパルツのTIスイムスタジオにあるエンドレスプールで週2、3時間、常に普段のセットよりもレベルを落として練習するようになりました。

この時期、第一の目標は静かな泳ぎの動きを使って肩の筋肉に再び力をつけて回復を図ろうというものでした。しかし、これらの静かな動きはまた、ストロークの鍵になる部分を磨くのに最適でした。TIコーチのボブ・ウィスケラは、ストロークのはじめに手で水を抱え込む術が「月光をつかむ」のに似ていると表現しました。それはこの時期私がストロークをする感覚をまさに言い当てた表現です。痛めた肩のリハビリ中に力を使うことは無理でした。代わりに、細部に気を配ることで、効果的に各ストロークを行えるようになり、目に見えて上達しました。

28.5マイル(45.6km)のマンハッタン島マラソンスイムに出場申し込みをした後、1月上旬にマスターズの練習に復帰しました。1日、2日練習に出てみて、最初の週ですでに以前のタイムに戻り、4ヶ月のブランクを全く感じずに泳げることがわかり感激しました。2週間後、ここ数年を比較しても、より効果的に速く泳げるようになりました。また更なる怪我(転落して胸部を打撲)をしましたが、練習を続けました。胸部の打撲から1週間後に行われたマスターズの大会では、ウォームアップの時に胸に激しい痛みが走りましたが、12分41秒の記録で泳ぎきって1998年以来の1000m自由形で自己最高記録を出しました。胸骨は大会後にひと泳ぎした際にウォームアップの時同様に痛みましたが、大会中には痛みを全く感じませんでした。数ヶ月間、体より精神を行使してトレーニングした結果、精神を集中させることに鋭敏になり、レース中は痛みの感覚を完全にブロックしてしまうほど、フォームに神経を集中していたのではないかと、家路に向かう車の中で考えました。

1998年以降、6つの1000ヤード(910m)の大会で泳ぎ、タイムは12分41秒から12分51秒でした。また、5つの1650ヤード(1500m)大会でのタイムは、21分30秒から21分36秒でした。驚くべきタイムの一貫性は、テクニックに集中して練習すれば、いつまでも泳ぎのレベルを保持することができることの証明です。3月4日、1650ヤードを20分59秒で泳ぎましたが、最後の1000ヤードのタイムは12分35秒でした。3月18日、ニューイングランドのマスターズ・チャンピオンシップでは、1650ヤードをスプリットタイムが最初の1000ヤード12分19秒、そして最後の1000ヤードが12分12秒の20分15秒で泳ぎました。

この体験から私はなにを学んだでしょうか?体力は加齢と共に減少してしまうことは、そうならないようできるだけの努力をしながらも免れない事実ですが、私の自己認識と「身体的な知識」は上昇の一歩をたどっています。そして過去数ヶ月の練習が中年のアスリートとしての希望的な体験をもたらしました。陸地よりもむしろ水中においてですが、認識を高めることで身体的許容範囲や能力などの減少を食い止める以上の効果があると今では確信しています。水は不安定で協調しない環境なので、私たちの体や力に対して、ユニークなあらゆる課題を投げかけてきます。

過去16年間テクニックに特に集中して、絶え間なく効率とコントロールの改善を見てきましたが、この2年間の「制約されたトレーニング」は単に「テクニックを練習する」ことから、水という環境の中で人体の持つ問題点を長期間探る機会を与えてくれました。これほどプールの中で思うように体を動かせると感じたことはありません。そして私のこの体験は、数十年前に身体的ピークを終えた同世代の仲間たちを激励することでしょう。

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