まず報告しましょう。「マンハッタンはやっぱり島だった!」クィーンズ島からマンハッタン島にイーストリバーを泳いで渡るなど、夢にも考えたことはありませんでした。しかし今では「泳いで渡れる!」と思います。というのも、マンハッタン島マラソンスイム(MIMS)大会で、マンハッタン一周合計28.5マイルを8時間53分で、何とも爽快に泳ぎきることが出来たからです。

●大会前のアクシデント

MIMS出場における私の目標は単に速く泳ごうとか、28.5マイル遠泳に耐えるというものではありませんでした。TIコーチのドン・ワルシュがマンハッタン島でのマラソンスイムに2度出場し、最も少ないストローク数で他者を凌いで泳ぎ、ゴールでも爽快な気分であったことを聞いて鼓舞され、自分も挑戦する気になったのです。また、28.5マイルの距離を優雅に落ち着いて泳げるように自己トレーニング法を探求してみたいとも思いました。1周をドンの27,000より少ないストローク数で泳ぎ、肩の怪我を気にせずに遠泳できたら素晴らしいと考えました。また、単調で飽きることないマラソンスイムのためのトレーニングが誰にでも可能であることを証明したいと思いました。

大会前の3ヶ月間は、いつもの2倍の距離を楽しく練習しました。友人と1セッション、マスターズチームと3セッション泳いだ以外は50セッション以上を単独で毎回のストロークに集中して練習しました。

土曜日私は、クルーと応援してくれる人達と共に、マンハッタンに車で向かいました。地元カヤック仲間のデーブ、オーストラリアから来たTIコーチのジェニーとキムは、土曜日の早朝に出発、そしてボートクルーで妻のアリスとシェーンと私はそのあとに出発の予定でした。また、デーブ達は午前中に3時間のクルージングでコースの下見をすることになっていました。

大会前日、ミネワスカ湖州立公園で2000メートル遠泳をするつもりで、まずはマウンテン・バイクで湖畔のハイキングコースを走ろうとしましたが、乗り慣れないバイクだったのもあり、転倒して怪我をしました。そのまま湖で20分ほど泳いだ後、よくよく調べてみると、右肩、胸、そして腕にすり傷と、打ちつけてできた切り傷が右膝下全体にあり、指先は腫れ上がって青あざになっていました。泳ぎには大した影響はないものの、勧められた予防接種を受けなかったために川で細菌感染する可能性を心配しましたが、あとの祭りです。

土曜日の午後、私達はハドソンのピア40でデーブと落ち合ってレース前の説明会に向かいました。レースのディレクターであるモーティー・バーガーは20分以上かけて、レース開始直後のスポットがかなり困難であることを警告しました。最初の半マイルは、マンハッタン島の南端の埠頭から出る際に潮流に逆らって泳ぎ、それからハドソン川に向かうことになります。我々も、天国と地獄(門)の狭間に引っかかってしまうのでしょうか。

日曜日は朝4時に起床し、速やかに朝食を取りました。デーブは4時半にカヤックをダウンタウン・ボートハウスに取りに行き、シェーンとアリスは5時半に私たちのクルーボートのキャプテン、マイク・リッチモンドとノースコーブで落ち合いました。ジェニーとキムと私はさらに半マイル、レースのスタート地点であるサウスコーブまで歩きました。ここで、脇下と特に足の怪我の部分にたっぷりとワセリンを塗りたくり、世間話をして、21人の参加者(15人は個人プレー、6人がリレー)の写真撮影のあと、6:15に先発の遅いスイマーたちが一般より15分余裕を持ってスタートしました。

●いよいよスタート!

次は我々の番です。サウスコーブは汚く、飛び込みに最適なクリアーなスポットを探すのに一苦労でした。諦めて飛び込むと、水は思ったより快適でほんの少し塩の味がしました。コーブの南端に向かってゆっくり泳ぎ、全員出口付近に集まってスタートを待ちました。6:28、いよいよ笛が鳴り響き一斉にスタートを切りました。

私達は一丸となって、コーブの外壁に沿って泳ぎました。はしけを驚くほど楽々と泳いで、すぐに六角屋根のユダヤ文化博物館を左手に眺めました。気流に逆らって泳ぐのも思ったほど困難ではなく、スムーズに建物を通過しました。数分後にデーブがカヤックで私の右側に着きました。次の目標はフェリーのターミナルです。幸いボートの出入りはありませんでした。

●ブルックリン・ブリッジと“いい気分!”

幸いにして、さほど大変な思いをせずにイーストリバーにたどり着き、気流に乗ってすいすいと泳いでいました。一体どれほどの速度で進んでいるのか見当もつきませんでしたが、数分後デーブに注意されて、川の中央に方向転換しました。次に様子を見に頭を上げた時には、ピアにぶつかりそうになって驚きました。左側に流されて船渠にぶつからないように、両手でピアを掴んで思い切り右側に転向しました。この時初めて気流の強さを痛感しました。

デーブのリードで、水路中央に向かって泳ぎました。程なく美しく改装された18世紀のウエアハウス(現在は娯楽ショッピングモール)にふと目を留めてサウスストリートのシーポートを通過しました。前方には見慣れた弧線を描くブルックリン・ブリッジが見えます。10分もせずに今大会の12あるうちの最初の橋の真下に来ました。時間は6:58、やった!最初の休憩時間です。世界で最も歴史的、そして敬愛される橋を下から眺めるという貴重な体験をしました。そこで4,5分水分補給をしたり、クルーボートのカメラにポーズを取ったり、デーブとこの記念すべき瞬間についておしゃべりしたりしました。休憩を終えて再びスタート、マンハッタンとウイリアムズ・ブリッジは目と鼻の先です。

イーストリバーは驚くべきスピードで落ち着いて泳ぎきりました。ウイリアムズ・ブリッジの下を7:12に通過、59番ストリート・ブリッジとルーズベルト島の電車路線を8:00少し前に通過し、8:30にはヘル・ゲート橋まですべてを通過することができました。この90分間、何度か泳ぎを止めて見慣れた美しい景色を眺め、エンパイアーステートビルや国連を背景に写真を撮り、ほとんど10分おきに“トイレ休憩”をしました。51歳男子の生理現象を受けて、水分の補給量はガタガタと減りました。

●勢いに乗ったヘル・ゲート橋まで:ハーレムリバーではたどたどしく

8時半にデーブが「着いたぞ!」と言いました。ここまではかなりゆっくりしたペースで泳ぎましたが、力強く調和がとれていました。ストローク数を11あるいは12から14になるように練習を積んだプールセッションの結果です。まるでボディーサーフィンをしているようでした。波は巻きながらも、気流はほとんど進行方向に流れています。泳ぎながら波に持ち上げられて前進し、気が付くとハーレムリバーに着いていたという感じでした。

期待に胸を膨らませて、何ヶ月もの間練習して臨んだこの大会の真っ只中、何ともいえない幸福感を味わっていました。クルーに向かって「この幸福感は、ハイポセルミア(体温が異常に下がってしまう状態で、事前に症状の説明を受け、このような状態を確認した際は直ちに水から引き上げられる)のもう1つの症状でしょうか?」と尋ねたほどです。ヘル・ゲート橋が楽しかっただけでなく、最初の3時間半が真に喜びあふれる体験だったからです。

しかし、幸福感はそう長くは続きませんでした。ハーレムリバーはとてつもなく長いだけでなく、単調でした。長く狭い水路の両脇は灰色の電線で仕切られていて、途中ヤンキースタジアムとブロンクス高速道路近くのローマの水道橋を思わせる美しいアーチ型の橋以外は、すすけた工場地帯と人家が延々と続いていました。トライボロウ橋からジョージ・ワシントン・ブリッジまでのハーレムリバー上りに、何と時間のかかることかと驚きました。車ならさしずめ10分(渋滞で90分)で行く距離です。その後しばらく川が人とクルーのボートで一杯になり、その他大勢のスイマーとその側近たちを潜り抜けて泳ぐ羽目になりました。

クルーに尋ねると、この混雑ぶりは6:15にスタートしたスイマーたちの通過によるものでした。イーストリバーで見た景観とは対照的な実用本位の5つの橋の下を通過し、12時直前にようやくマンハッタン側にコロンビア大学のボートハウスを仰ぎ、ブロンクス川に大きく“C”とペイントされた川の広い部分にたどり着きました。ハドソン川に入る目印でもあるSpuyten Duyvilとアムトラック橋はすぐそこです。

ハドソンリバーは波が荒く飲食が困難だから、その前に十分に栄養補給をした方がいいという事でラッコのように仰向けになって、のんびりと食事を摂っていると、1時間ほど前に通過したリレーチームが再度接近して私の傍らを通過しました。競争相手の出現に、私はキャップとガーグルをつけ直して後を追いました。アムトラック橋の下で彼らを追い越し、5時間半黙々と泳いでいた私は、降って湧いたレースにしばし熱狂しましたが、まだまだ13,4マイル先のゴールを思い、あまり興奮してはまずいと思いました。

●洗濯機の中で泳ぐ

川幅の広いハドソンリバーに到着、ニュージャージーの中心に向かってまっすぐ泳ぎだしました。その後45分ほどリレーチームのカヤックやクルーボートを追いながら彼らに接近して泳ぎましたが、波が高くうねってスイマーを追うのは困難です。強い南風が水面を叩きつけて3フィートの高波を作り、さらに様々な船が勢いよく走っては波を蹴立てます。洗濯機の中で泳ぐのはこんな状態だろうと想像しました。

どっしりとしたジョージ・ワシントン・ブリッジに引き込まれるように前進して、たどり着くのにSpuyten Duyvilからちょうど1時間かかりました。橋の下でカメラに向かってポーズを取り、橋の上からは見えない“小さな赤い灯台”の、のしかかるような全長を眺めて目を丸くしました。次なる陸標はマンハッタンの西側にそびえる巨大な下水処理場です。

90分間波を掻き分けて泳いだ後の1:30頃、とうとうクルーに疲れを訴えました。時間や距離よりも待ったなく押し寄せる波に飲まれた感じでした。次の目標は79番街のボート泊渠です。ハドソンでの景観は1枚ずつめくるように表れ、トランプシティー、衛生設備のピア、クルーズボートのピア、そしてイントレピッド海洋航空宇宙博物館などを裏側から眺めるのはとても興味深く、水中でバシャバシャしているのが残念です。

●帰途に就く

ゴールから1マイル(1.6キロ)ちょっとの所にあるピア40を確認して、全力で泳ぎました。ハドソンリバー公園にある防波堤を通過しながら、大勢の観客が25メートルほど上から眺めているのがわかりました。クルーボートが出発したノースコーブを通過後、最後の半マイルは瞬く間に過ぎました。サウスコーブに入り、ボランティアの人が船渠で私を引っ張り上げ、今度は防波堤の上に上る階段を押さえてくれました。泳ぎきった感想は、とにかく終わってほっとした、というのが正直な所でした。マンハッタン周辺の膨大な面積を泳ぎきった後にはしゃいで喜ぶエネルギーは残していませんでした。特に気になる体の痛みもありませんでした。しばらく座り込んで、冷水を飲んだり、ベーグルやバナナを食べたりしてぼんやりした後、皆とホテルに向かい、そこでデーブと落ち合って帰り支度をしました。

大会終了後1時間、急に止め処もなく疲れが襲ってきて失神しそうに気分が悪くなりました。車で運転して帰途に就く前に、20分ほどホテルのロビーで体を休めました。その後、いざ運転席に座り、栄養ドリンクを飲みながら90分ほど運転して家の車庫前にたどり着くと、すっかり元気を取り戻していました。翌日は首に多少痛みを覚えたものの、火曜日にはすっかり元に戻りました。

●遠泳での教訓

マンハッタン島マラソンスイム(MIMS)にもう一度出場することはすでに心に決めていました。今回初めて泳いで得た教訓を無駄にしたくありませんし、生まれつきの競争好きだからでしょう。

ストローク数について言えば、1分間平均49ストロークで8時間53分泳いだとすると、マンハッタン1周を26,000ストロークで泳いだことになります。今大会の優勝者のエミリー・ワッツが1分平均80ストロークで7時間46分の、トータル37,000ストローク、2位のロン・コリンズが1分平均60ストロークで8時間のトータル29,000ストローク、そして3位のギリス・シャランドンが1分平均70ストロークで8時間4分のトータル34,000ストロークでした。エミリーの記録より11,000ストローク少ないということは、マンハッタン島スイムマラソンで再び上位に食い込んで泳げるはずです。51歳という年齢と痛めた肩のハンディを考慮して、初出場では速く泳ぐことよりも優雅に効率よく泳ぐことの方が重要でした。

スピードにおいてもかなり改善できると思います。今大会でクルーが9時間の間に私の摂取した食べ物と水分を計算した所、60オンスの水と栄養ドリンクそしてバナナ2本と栄養ゼリー1パックでした。1時間に少なくとも20オンスの水分補給が必要だったということは、私はかなりの脱水症状をおこしていたと言えます。大会直後の突然に体を襲った倦怠感と疲労感はそのためで、家路に就く途中大量に水分を摂ってすぐに回復したことからもわかります。次回はきちんと前もって計算された量の水分を摂取し、そのスケジュールに従うつもりです。

今度再挑戦する前には肩を完治して、常に用心深くトレーニングや大会に臨む必要のないようにしたいと思っています。また今回は旅行者気分で水に入り、すべての瞬間を楽しみましたが、次回は競泳選手として泳いで、タイムがどれほど向上するかを見てみたいと思います。

最後に、私の初のMIMS は大成功でした。思い描いていたように泳ぎを楽しむことができた上に、本当に多くのことを学びました。次にマラソンスイムをいかに楽しむかと題する本に着手して、大会を価値ある学習経験の場にしたいと思っています。

 ©Easy Swimming Corporation