皆さんはかつて、自分の進む道に疑問を抱いたことがありますか?やるべき事をやっているか?今年はそれを、繰り返し自分に問いかけた年でした。私の名前は、タリス・アプッド−マルティネス、メキシコ出身で23歳のプロのトライアスロン選手です。
 
* パンアメリカン・デュアスロン優勝
 * USAデュアスロン優勝
 * メキシコ・U-23・トライアスロン優勝
多くのトライアスロン選手の抱える悩みでもある、水泳への挫折感が自省のきっかけでした。私は6歳から競泳選手として泳いできましたが、決して飛びぬけていたわけではありません。しかし、走ることは別でした。テキサス大学オースチン校に入学して、クロス・カントリー・チームに入り、オール・アメリカン(全米でトップクラスの運動選手に授与される)として卒業しました。水泳には欠ける才能が、走ることにおいて恵まれていることは確かです。それでも訓練と努力が、生まれ持った能力に打ち勝つと信じていました。

2004年の初めにプロのトライアスロン選手になって以来、コーチと私は水泳を改善するのが最重要課題であると考えました。様々な角度から、全身全霊をあげて水泳に取り組み始めました。8ヶ月かかって、1500メートルのタイムは23分から21分20秒へと短縮しました。しかし、テクニックの習得に膨大な時間を費やしたにもかかわらず、体に馴染まず機械的な感じは拭い去れませんでした。他のスイマーたちが、水中でのスムーズでリラックスした感覚を嬉しそうに話しているのを聞くと、自分にはまだ何かが足りないと感じました。そして3年後のオリンピックのメダル受賞を目指す私は、不安でいっぱいになりました。

2005年5月の終わり、メキシコ・トライアスロン連盟からパンアメリカン・デュアスロン・チャンピオンシップのメキシコ代表に招待されました。ヘッドコーチでもある父と相談して、いちかばちかやってみる決意をしました。3週間後、私はUSAデュアスロン・世界チャンピオンシップとその翌週に行われたパンアメリカン・デュアスロン・チャンピオンシップの2つに優勝しました。メダルと小切手を片手に考えたことは、やはり水泳の改善が重要不可欠であるということでした。今回の賞金を目標のために投資する決意をし、メキシコ・トライアスロン連盟の推奨するトータル・イマージョン のトレーニングを1週間受けるため、7月の2週目にニューヨークのニューパルツに向かいました。

初日、ホークス・スイム・チーム(訳注:ニューパルツ市の地元の子供のスイミングチームで、テリー・ラクリンがヘッドコーチを務めている)との練習のため、アルスター・カウンティー・プールに赴きました。テリーはまず、私に50メートルを8セット泳ぐように言い、ストロークを数えました(ベスト・カウントは46)。次に、ファンキーな形のフィストグラブを手渡し、いくつかのフォーカルポイントを指示して、400メートル泳ぐように言いました。「頭のすぐ近くで手をスライスさせるように入水し、伸ばした手の甲を下げているように。」言われた通りに泳いだ後、今度はフィストグラブをはずして最初のセットを泳ぎました。すぐに手の大きさが2倍になったように感じ、水中での手の動きにも極度に敏感になりました。最初の50メートルを41ストロークで泳ぎ、そのペースを最後まで保ちました。その後、もっと上級のホークスのスイマーと一緒に、スピードも若干上げて泳ぎ、タイムはすぐに50メートル39から35へと伸びました。

30分経過して、これがいつもとは違う週になることを予感しました。そして週の残りは、新しいTI スイム・スタジオのエンドレスプールで1回と、カウンティー・プールまたは美しいシャワンガンク湖で1回の、1日に計2回泳ぎました。

エンドレスプールは、水底にある鏡で自分の細かな動きを修正できる「変身マシーン」のようでした。テリーや、他の素晴らしいスタッフとともに、まずは1からのテクニック再建として、頭と体のポジションからはじめました。テリーの最初の指導は、フィッシュとスケーティングのドリル練習の間、水底の鏡で鼻から息を吐いているのを確認することでした。すぐにバランスすることと回転することがラクになりました。

次に、伸ばした手とともに体が一直線になっていることに集中して、アンダースイッチの練習です。鏡で見ると、自分がまるで水流から「隠れて」軽々とその姿勢を保っているのがわかりました。翌朝は、アンダースイッチをさらにつづけたのに加え、クロールでは、伸ばした手をスライスするように入水して、体が潜り抜ける穴を開けるようにすること、また上側の腰と肩を下に回して推進力を作り出すことに集中しました。私は練習をしながら、こんなに自分の泳ぎがすぐに改善できるのは、驚くほどシンプルな原則に従って泳ぎを習得するプロセスにあると納得していました。

2日目は、ジッパースケートのリラックスしてコンパクトなリカバリーを練習しました。手の掻きを減らして体幹の回転を増やすために、ほとんどフィストグラブを着用して泳ぎました。2日目にして驚くほどスムーズにリラックスして泳げるようになり、ようやくスイマーたちの言っていた感覚がわかりました。

3日目からは各エンドレスプールでのセッション後にいくつかのテストを試みることになりました。特定の水流スピードでフォーカルポイントを1つ定めて、1分から3分泳ぎ、ストローク数、心拍そしてスピードを測ります。それから、それを2、3段階速い水流スピードで繰り返します。こうして金曜日には、ストロークはずっとコントロールでき、より速いスピードを低い心拍数で泳げるようになっていました。そして50メートルのストローク数はなんと、46から36に改善されました。

アオスティング湖とミネワスカ湖では、ナビゲーション、サイティング(ルックアップ)、ルート設計、などのテクニックを学びました。テリーが自らの経験から、効率を維持して荒波をやり過ごす方法や、死に物狂いで手足を動かして泳ぐ大勢のライバルをかわす方法などを教えてくれました。

スイマーとしての進歩の第1段階は、1500メートル・レースと同じペースで、効果的に泳ぐためのテクニックを完璧にマスターすることでした。ここでのトレーニングは、第2段階のより高度な練習の土台になり、テリー曰く、時計を睨むのではなく、泳ぎの感覚に集中するのが際立った特徴です。新しい技術が体にしみ込んで癖になった段階で、次に進みます。

この旅行でさらに2つの発見がありました。:今までは、いろいろなコーチに悪い所を指摘されて、一人深い海底に迷い込んだような気持ちになりましたが、TIではコーチと生徒が一体になって、基礎のテクニックから集中して学びます。また、ホークス・スイム・チームとの練習では、8歳から17歳の若い子供たちが統一された美しいテクニックで泳ぐ様子、またコーチ陣が疲れることなく細部にわたって指導する姿を見て感動しました。こんなに早い時期から(たとえ水泳がラクにできない子も)基礎を徹底的に学んで、さらに高度なパフォーマンスを身につけることができるのは、本当にすばらしいことです。

1週間分のレッスンを思い出しながら、私はこれをエアポートで書いています。長年の試行錯誤で楽しむことをすっかり忘れていた水泳ですが、水に入るのが待ち遠しいくらいです。帰り着いたら、さっそく習ってきた泳ぎを再現して、あとはじっとスピードがテクニックに追いついて来るのを待つだけです。新たな誓いと情熱を持って、近い将来世界のトップ選手たちと肩を並べる日を思い描きながら、長い道のりを歩き始めた気分です。

8月20日現在、ニューパルツ滞在後5週間を経て、タリスの1500メートルのタイムは、過去の最高記録を1分近く上回る、20分30秒になりました。
 ©Easy Swimming Corporation