Swim Like Shinji:TI創設者テリー・ラクリンとTIが支持された理由   トータル・イマージョン代表 竹内慎司

 2017年11月10日
2017年10月20日に伝説の人となったテリー・ラクリン。
彼の考案したトータル・イマージョンというメソッドがなぜ画期的で、多くのスイマーに受け入れられたかを考えてみる。

理由1:効率泳ぐ技術は大人になってからでも習得できることを証明した
上手な中年スイマーは、大方過去に水泳部に所属して泳いでいた人達である。大人になってから水泳を習った人とはすぐに見分けがつく。その違いを「技術」の観点で分析して、ドリルの形で習得可能にしたことが、テリーの最大の貢献である。

もっともこれは、彼自身の生い立ちが大きく影響している。最年少で大学の水泳部のコーチに就任したテリーは、速さを結果として常に求められる世界に居た。自分が遅いならあきらめもつくが、チーム全体のスイマー全員に対して責任を求められるのは大変なことであっただろう。

そのような世界がいやになって、彼は一旦水泳の世界から離れる。そして戻ってきたときには、競泳の世界ではなく成人向けの水泳指導という彼にとっても初めての世界に入ることになった。当時の成人向け水泳指導ビジネスはマスターズ、泳げない初心者と二分化されており、その中間、すなわち泳げるけど速く泳ごうとは思わない人達は相手にされていなかった。

再挑戦するにあたり、このような競争のないセグメントで教え方を考えるところがテリーらしいのである。そしてトライアスロンの勃興と共に、トータル・イマージョンのスイムキャンプは一部の狭い分野の人達に強烈に支援されるようになる。

自分で考えたメソッドなので、被験者が多いほどメソッドは最適化される。数年も経つうちにこれで食べていけるようになったところは凄い。そのあたりのエピソードはいろいろ教えてもらった。

理由2:水泳の世界に東洋的な味付けを加えた
「考えながら泳ぐ」という禅思想、「カイゼン」などの新しい概念など、テリーの思考には東洋的なアプローチ、特に日本人の考え方が深く影響している。

彼は玄米茶をたしなみ、漬物が好物(京都の百貨店では試食コーナーから引き剥がすのが大変であった)であり、日本的な発想や日本人の生産性、勤勉さなどに非常に興味を持っていた。

トータル・イマージョンが台頭した1990年代後半から2000年にかけては、米国における中国の影響は少なく、東洋といえば日本であり、日本の神秘的(言い換えれば不気味)な世界を水泳というめずらしい分野に取り入れることで、米国人の東洋に対する憧憬を満たすことになった。

理由3:自らカイゼンし続けた
コーチは教えることが仕事である。ところがテリーは教えるだけでなく、自らがレースに参加し、練習する過程で得られた経験により、カリキュラムを磨いてきた。まさに日本のカイゼンである。

練習のアプローチや意識するポイントが成果を伴わないものであっても、それを反省してさらにアプローチを変えて取り組む。その姿勢が多くのスイマーを感動させ、トータル・イマージョンのブランド価値を高めた。

ここまで自分をコミットしてメソッドを作り上げたコーチを私は知らない。一方テリーの後には、名前を挙げればきりがないくらい多くのコーチが同じ道を歩んでいる。テリーは自らをコミットする先駆者である。

理由4:一流のビジネスマンである
テリーはいつも、「私はコーチだからビジネスのことはよくわからない」と言っていた。しかし市場のセグメント、ブルーオーシャン市場の見極め、ブランド構築などの観点では、彼は非常に秀でている。

だからこそ文字通り「裸一貫」で、ここまでの世界を作り上げたのであろう。

今後トータル・イマージョンはどうなるのか。興味深い。

おまけ:「テリー・ラクリン」という呼び方
Laughlinはスコットランド由来であり、いくつかの呼び方がある。しかもいずれも日本人の発音にはない音であり、近似化する必要がある。
そこで私はいくつかの音を日本語読みで発音し、どれが一番フィットするか本人に判断してもらった。その結果「ラクリン」となった。これは本人が認める呼び方なのである。

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