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ゲスト投稿:スイミングの原理 TIスイム創設者 テリー・ラクリン2016年12月10日 |
私がプールサイドでパトリック・クインさんに会ったのは、1989年の5月でした。私はフロリダのミッションベイ・アクアティックセンターで行われていた全米マスターズの短距離に初めて参加していた時のことです。パトリックさんと私は、1000ヤードの自由形レースの自分たちの出番を待っていました。私はその時38歳で、パトリックさんは58歳でした。今は私は64歳で、彼は84歳です。
私たちの友情は、スイミングという共通の情熱を通し、年月をかけてはぐくまれてきました。
クインさんは、私の投稿「最初の原理からコア原理」に、賢明でありながら、詩のようなコメントを残してくれました。コメント欄だけに収めておくにはもったいないので、みなさんにも読んでいただきたいと思い、ここに記載する許可をいただきました。 − テリー・ラクリン
パトリック・クイン教授の経歴の概略 高校の時ハードルの選手だったクインさんは、大学では中距離選手となり、ダブリン大学陸上部の部長を務め、チームを全国優勝に導きました。 スイミングは好きでしたが、真剣に取り組んではいませんでした。一度高校生の時、無理やり5mジャンプに出され、地区大会で最下位に終わりました。 家族は6人。研究と建築の経歴を築き上げることに専念していたため、運動からは約20年間遠ざかっていました。 1979年、全米アマチュア パブリックリンクス ゴルフ選手権に参加した1か月後、クインさんは冠動脈バイパス術を受けることとなり、真剣に健康について考えるようになりました。 ローマでの米国学会の特別研究制度のお陰で、彼は、美しい都市でのウォーキングによるリハビリに6か月間費やすことができました。アメリカに戻ってからは、理学療法としてスイミングを始めました。そして、ある人からUSマスターズに入るように勧められました。1985年には、クインさんは、地元のマスターズ大会や州のシニア大会に出場していました。 ニューヨークでのエンパイアステート大会に何度か参加した後、クインさんは、フロリダ、ボカラトンでの全米マスターズ選手権への出場を決意しました。心臓の手術をしてから10年、彼は1000ヤード自由形で見事8位入賞を果たしました。そこで、テリー・ロクリンと出会い、友人となりました。 ジェフ・マックスウェルさんの指導とテリー・ロクリンのアドバイスにより、クインさんは平泳ぎを習得し、後に長距離も泳げるようになりました。トラックを走ることで得た特定の技術を、長距離スイミングや平泳ぎのスプリントに応用することを習得しました。彼の注目すべき結果のひとつは、エンパイアステート大会で、初めての金メダルを手にしたことです。50m平泳ぎで、8人の選手が2秒以内にゴールしたという接戦のレースでした。 クインさんのスイミングキャリアは、プールに始まり、湖、川、インディアナからインドや大西洋からメキシコ湾への海など、変化に富み、楽しいものでした。しかし、彼がバラナシのガンジス川を泳いで渡りたいと言った時は、彼の思慮深く美しい奥様は、断固として反対しました。 アイルランド、カナダ、アメリカ中で、泳ぐことにそれぞれ特別な意味を持った興味深い人たちと交流を持ち、たくさんの友人を作ってきました。 彼の最も誇るに足る功績は、サンフランシスコで行われた世界マスターズ水泳選手権の3Kオープンウォーターで8位に入賞したことと、80歳にして1500mで初めて世界トップ10入りしたことです。その年彼は、USMS長距離オールスターチームの最高齢メンバーとなりました。 クインさんは、85歳以上の年代層に入ることを今から楽しみにしているようです。タイムは遅くなるでしょうが、効率を上げて、もっと気持ちよく、楽しく泳げるようになることを期待しています。彼がフォートローダーデールに殿堂入りすることはありませんが、彼の功績は彼の子供や孫たちの中に残ることでしょう。 |
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