ストロークドリル: パーソナルヒストリー パート1 (1971年〜1983年) TIスイム創設者 テリー・ラクリン

 2015年8月10日
私は、1965年から1972年、高校と大学で水泳をしていました。高校では、週に1度、短い距離でのスピードトレーニングを1時間していました。大学では、プルとキックの練習が毎日のトレーニングのメニューに入っていましたが、ドリルはありませんでした。私が始めてドリルについて知ったのは、スイミングの雑誌でした。そして、時間が空いている時に、片腕練習とキャッチアップを試してみました。(43年後の今、それは、ほとんどのスイマーとコーチの間で一般的になっています。)

私が1972年の夏に、キングスポイントにある米国商船アカデミーでスイミングの指導を始めた後、その当時の標準的ドリルについて、さらに情報を得、理解していきました。そして、ストロークドリルを普段の練習に取り入れました。
私はだんだんと技術面に重点を置くようになりました。それは、今でも比較的珍しいことですが、当時は極めて異例なことでした。ドリルでは、フォームへの意識を高めると同時に、私はさらに注意深く観察し、フィードバックをし、切れのあるフォームを要求しました。

当時も現在も、コーチはドリルをウォームアップの一部として組み入れがちです。典型的な例として、800mでは、200m泳ぐ+200mキック+200mプル+200mドリル。400mでは、50m泳ぐ+25mキック+25mドリルなどです。このように行うと、必然的にドリルは、単なる「こなすだけの物」となり、キックやプル以上に意識を持つことなく、無意識に行ってしまいがちです。

80年代前半、さらに経験を積み、人前に出る機会も多くなり、私が指導していたスイマーたちのほとんどが上級者レベルに達し始めた頃、私はさらに複雑なドリルを習得しました。そのドリルでは、さらに質の高い連動と、さらに細かいストロークのタイミングと統合が求められました。ナッシュビル スイミングクラブのコーチ、ポール・バーゲンさんは、ここで多くの世界チャンピオンを生み出し、1970〜1980年代、最も技術の優れたコーチであると見なされていました。このポールさんが、とても大きな影響を与えてくれたのです。

新しいドリルを習う時は、私はいつも慎重に学びました。例えば練習の時、私はポールさんの一番優秀な生徒(そして、個人メドレーも含む全ての種目で、世界およびアメリカ記録を樹立した唯一の選手です。)トレイシー・コーキンズさんがウォームアップでドリルを行っているのを注意深く観察しました。それらのドリルは、のちに商業用ビデオとなり、私はそれらを徹底的に学習しました。

良い指導者となるために、トレイシーさんが何を考え、感じているかを直感でとらえようと、私は自分でドリルを繰り返し練習しました。特に、何をするべきかだけでなく、運動感覚−何を感じるべきか−において、生徒に良い指導とアドバイスができるよう、研究しました。

私達は常にドリルを価値の高いものとして扱っていました。私は焦点と質を求め、ドリルをトレーニングの最初や最後に少しだけ行うのではなく、一番重要な練習に組み入れることもよくありました。私達は、激しい練習の前の意識を高めるためや、スピード練習の合間のリカバリーとして、ドリルを取り入れました。

私は、当時も今も一般的とされている練習を少しずつ減らしていき、ドリルをもう1つのコンディショニング運動として加えました。ドリルは多くの場合、時間を計りながらのインターバルで行われるか、単に距離を稼ぐために使われるので、細かい点までなかなか注意が行き届きません。

私は、コンディショニングの反復練習の時間を削って、特定の泳法でフォーカルポイントを定め、生徒たちにそのポイントを意識させながら、50mでの練習を繰り返してもらいました。(当時私が指導していたのは、50mのプールでしたので、それが最短距離での練習でした。)

30分ほどドリルやストローク全体の練習をしたら、私がフィードバックと指示を与えます。数本毎にフォーカルポイントを変え、何度も生徒をプールから上がらせて、特に上手くできているチームメイトの泳ぎを見てもらいます。私は、これらの見本に、できる限りチームの中でもあまり目立っていない子を選びました。そうすることによって、全ての人が非常に速く泳げるわけではないが、技術的には誰でも秀でることができることを見せたかったのです。

私達がトレーニングで、優雅さに意識を高めていくにつれ、ドリルよりストローク全体の練習が、フォームの技能をも高めていく傾向にありました。なぜなら、

  1. ドリルは、ストロークの一部に焦点を当てて練習をするのに適している一方、ストローク全体の練習は、ドリルで身につけたそれぞれの要素を、シームレスにストローク全体に連動させるために不可欠です。そして、
  2. 結局のところ、ドリルの目的は、ストローク全体の流れや効率を最適化するためのものなのです。

効率性向上のために、私は今までドリルに使っていた時間を省いて、ストローク全体の練習に時間を多く使うようになりました。ストローク数の練習(100mを特定のストローク数で泳ぐ)を含め、スイムゴルフの練習(特定の距離−ほとんどの場合50m−を特定のストローク数+特定のタイムで泳ぐ)も取り入れました。全ての泳法で、ストローク数に関しては個別の目標を設定し、スイムゴルフのスコアに対しては高めの目標を設定しました。

1982年の7月、私は15歳の少女に、50mのスイムゴルフでスコアが60を切ったら、100m平泳ぎの全国シニア標準記録を達成できる可能性が高いことを伝えました。(彼女の年齢では、それを達成することは稀なことです。)

それから2ヶ月間、彼女は練習の後残って、私に彼女のタイムを計るように頼んできました。ある金曜日の午後、私達の2度目の練習の後(その日は既に10,000m泳いでいたと思います。)、彼女は50mをストローク数20、39秒で泳ぎ、59というスコアを出しました。次の朝、私達は他のクラブと一緒に、浅くて、溝のない私達のプールで練習しました。その練習中に、彼女は、ほとんどのスイマーが初めて全国シニア標準記録を達成するために必要なテーパリングをすることなく、全国シニア標準記録よりも速いタイムで、平泳ぎ100mをトップでゴールしました。

これはコーチの先見または暗示の力だったのでしょうか?多分両方だったと思います。しかし、最終的に、時間と同様に測定可能な効率の要因を含め、ストローク全体の練習の効果が実証されたのです。

私がトレーニングにこれらの変更を加えてから18ヶ月の間、若いスイマー達(12〜16才)が、前例にないほど多くの全国年代別や全国ジュニア選手権で優勝しました。

次回の連載では、トライアスリートと成人してから水泳を始めた人たちを指導したことで、ストロークドリルの考案と使用における斬新な洞察が、どのように生まれたのかを説明します。

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